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被爆について思うこと 
佐々木 康登(ささき やすと) 
性別 男性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

 
被爆状況の詳細については、平和祈念館に学徒動員中に被爆死した妹の死体を発見したときの状況等について詳細を述べていますので、公開されておることから重ねては記述しませんが、最近長男から孫(男、三才)が誕生したとき心臓に異常があり、その手術の際に(東大病院)小児脳梗塞となり、その原因が私の被爆が原因ではないかと詰問され困っています。

私は現在80才。被爆当時は19才で被爆前後の広島市には死んだ妹の遺体を探すため、直後に2日間市中を歩きまわっています。1カ月ぐらいあとに歯ぐきから血が出たり、髪の毛が抜けるなどの症状が出て、1カ月ぐらいの間、仕事(国鉄)を休まざるを得なかった記憶があります。

去る10月30日に帰省した長男(東京都青梅市居住)に、本人の次男(平成15年2月16日生まれ)の心臓の欠陥(チアノーゼ)が私の原爆が原因ではないかと詰め寄られ、何も話すことがなく困った顔しか出来ませんでした。

被爆直後の病気は、亡くなった父がスッポンをどこからか買ってきてくれて快復したのを覚えています。50才くらいになった30年前ぐらいから心臓病と高血圧を宣告され通院服薬していますが、孫にまで何か影響が出るのか、孫は障害者手帳をいただいていますが、原爆の影響があるのか知りたいと思っています。

チアノーゼは動脈と静脈とが逆さまについているのが原因で、生まれてすぐ青梅から東大病院に運ばれ3回の手術を受けて一命は取りとめておりますが、2.5才になっても言葉が全然出ない状況で家族ともども将来のことを不安に思っております。私も80才、余命は少ないと存じますがこの目で見て感じた原爆。1号ではありませんが、市内で爆心から10kmぐらいのところで被爆。妹が動員先から帰ってこないので父、母とともに私が死体を発見する3日目まで入市しています。発見場所は現在の市役所から橋1つ隔てた橋のたもとで、多くの動員学徒の死体の中から奇跡的に見つけて、焼かれる寸前をにわかづくりのタンカにのせ瀬野駅まで貨物列車にのせてもらって連れ帰り葬式をしました。発見出来たこと自体は幸いに存じていますが、孫に報いが来ているのかなと案じている毎日です。
                                     (平成17年11月6日 記)

*読みやすいように文字の変換や句読点、送り仮名などを一部補っています。
  

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