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被爆体験について 
生田 カツ子(いくた かつこ) 
性別 女性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
 
 
昭和20年8月6日当時私は17才で学生でした。

赤痢が流行し私も隔離され入院中でした。今のようによい薬もなく、毎日流動食に梅干1コの食事のみで、ベッドより起き上がるのが、やっとの状態でした。呉の上空で空中戦が行なわれる様子を、フラフラしながらやっと立ち上がり眺めていました。我軍機が火をふいて落ちる姿を見ながら、これから先、日本はどうなるのだろうと、心配しました。

広島は空襲警報は、度々ありましたが、爆弾は一回も落ちた事はなく、少し無気味な感じがしました。

8月6日の朝、8時15分ベッドに休んでいた私は「ピカッ」と、マグネシウムを焚いて写真でも撮ったかと思うような光を見た直後、上から建物が崩れ壁の土煙りで目の前は全く見えなくなり、体は建物の下敷になり身動き出来ない状態になりました。しばらくじっと様子を伺っていましたが、あちこちから「助けて、助けて」と悲鳴が聞こえて来るようになり、私も何とか自力で這い出る事が出来ましたが、人を助ける力はありませんでした。顔と背中に深い傷を負いました。外に出て見ると広島市は瓦礫の荒野となり、あちこちから火が上っていました。病院には被災した人がぞくぞく詰めかけて、一杯になりました。人々の衣服はボロボロになり半裸状態で髪はみだれ、一応に腕を前に出し、皮膚は、はがれて腕からダラリと垂れ下り異様な状態でした。

沢山の人が死に、夜は燐のもえる青い炎があちこちでみられました。新型爆弾を落され広島には7年間は草木も生えないなどと、うわさが流れていましたが、被爆後約1ヶ月位経って青い草の生えているのを見た時は、感激致しました。これで私達も強く生きて行かなければ、と勇気づけられました。

その年の秋頃から頭髪が抜け始め櫛を使うのが怖いようでした。被爆から50年無事に現在まで生かされた私は、亡くなった大勢の友に申し訳ないような気持ちで、一日一日を大切に送らせて戴いています。
                                合掌


*読みやすいように文字の変換や句読点、送り仮名などを一部補っています。
  

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