私の家は、明治の中頃より被爆時まで広島市播磨屋町12番地(爆心地より約430m)で金物商を営んでいたが、被爆により住居および店舗は全焼した。被爆時およびその後の家族の状況は次の通り。
奥本カヨ (祖母) 被爆時年令満70才、昭和26年4月5日病死
市内三滝町の親戚宅から帰宅中、市電横川電停の電車内で被爆、無傷で後遺症もなかったが、昭和26年老衰のため死亡した。
奥本八重藏 (父) 被爆時年令満43才、昭和20年8月12日被爆死
店舗内で被爆し、背中にわずかに怪我を負い金輪島まで逃げのびたが、その後大竹市玖波町へ移送され現地で死亡した。
奥本壽子 (母) 被爆時年令満38才、昭和20年8月14日被爆死
住居内の土蔵の中で被爆し、わずかに怪我を負い縮景園から市内三滝町の親戚までたどりつき、その後死亡した。
奥本 博 (本人) 被爆時年令満15才
修道中学3年生、学徒動員で兵器廠淵崎材木集積場で被爆、無傷であったが、現在健康管理手当を受けておる。
奥本文子 (妹) 被爆時年令満13才、昭和20年8月6日被爆死
広島第一県女1年生、勤労奉仕で建物疎開の後片付けのため市内土橋町付近へ行き被爆、行方不明。
奥本克彦 (弟) 被爆時年令満8才、昭和20年8月6日被爆死
袋町国民学校3年生で、登校中被爆、行方不明。
奥本直通 (弟 )被爆時年令満6才、昭和20年8月6日被爆死
袋町国民学校1年生で、登校中被爆、行方不明。
奥本妙子 (妹) 被爆時年令満4才、昭和20年8月6日被爆死
店舗内で被爆し焼死、数十日経てから遺骨を発見した。
原爆のため私の家は以上の状態となったが、被爆50年を経た平和な今日、妻、長男夫婦、孫2人で当時と同じ場所(現広島市中区本通)で平穏無事な生活をしておる。
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