1.遅れた理由 当時結婚の条件として被爆を隠すようにしていた。
2.結婚も無事いたし、平成1年別紙2の方の証言を得て申請
3.8月6日楽々園に被爆者が避難してこられたので町内会長さんから手伝ってほしいと言われ、当時1才の博之を背負って
行き、包帯したり薬をぬったりの手伝いをした。また午後からは家の広さに応じて被爆者を二人留め、見てあげた。平成
1年に申請したのですが、面接だけでその後返事がないのです。バカにされたうで残念でたまりません。
4.調査する方々は事務的の感じで全く誠意がありませんでした。原爆の落ちた当時を知られないからで、それはそれは8月
6日は暑くて大変な作業でした。一才の博之は手伝いこそはしませんでしたが、作業に協力した一人です。厚生省に今一
度お願いいたします。私も73才になりました。ぜひぜひ博之に被爆手帳をお願いします。
5.八幡で手帳を受けた人は黒い雨だけです。楽々園でもピカドンの後すぐ黒い雨が降りました。どこから見ても当然受けられ
ます。申請が遅れたといっても当時は隠していたのです(原爆にあった事)。博之も52才になります。誰に言っても「どう
してもらえない?」と不思議がられます。つてがいるのでしょう。
再度お願いいたします。
厚生省殿
田室博之の母
*読みやすいように文字の変換や句読点、送り仮名などを一部補っています。
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