「伝えよう被爆者の苦しみと願い」と題して井笠原爆被爆者の会から体験記が発刊された。
私も家族への懺悔(ざんげ)の意味から書いて載せて頂いた。自分の短慮から家族を原爆の犠牲にしたその罪を背負って五十年。悔恨の念は今もなお続いている。父母と姉は、被爆の後遺症に悩み苦しみながらも、一度も私を責めることなく相次いで黄泉へ行ってしまった。
昭和二十年四月、父の転勤でやむなく二十歳の姉と女学校四年生の私と同じく三年生の妹の三人は、両親と末の妹と別れて井原の農村へ疎開することになった。しかし縁故先へ安易に疎開を期待するのは無理だった。さらに転校の手続きに行った学校で思わぬ冷遇を受けた。当時は軍事教練の指導で軍隊から学校へ指導教官が派遣されていた。見るからに厳しそうなその軍人が、「貴様らっ、空襲が怖くて逃げて来たのか。精神が腐っとるぞ、その非国民の根性を叩き直してやるっ」いきなり罵声を浴びせられた。私はこの屈辱的な言葉が許せなくて次の日、姉達の制止を振り切って一人汽車にとび乗った。困惑する両親を説き伏せて姉と妹も広島へ呼び戻した。やがて運命の八月六日を迎え家族を原爆で苦しめることになってしまった。特に心身ともに過酷な傷を受けて苦悩に満ちた一生を終えた姉に対して、償いきれない罪悪感を持ち五十年間後悔し続けている。「過ちは繰り返しませんから」と改めて誓いたい。
これは、平成七年八月十九日、山陽新聞に掲載して頂いた私の投稿文です。あのとき、予想もしなかった縁故先の冷たい態度と、軍人から受けた屈辱的な言葉に十六歳の未熟な私は冷静に判断する余裕すらなく短気な行動をとってしまいました。父母も緊迫した当時の情勢から判断したあげく、姉妹三人を田舎へ疎開させる決心をしたのだと思います。思慮分別の足りなさから私のわがままで、一家を原爆の犠牲にした後悔が年を重ねるごとに私を苦しめるようになりました。せめてもの償いの気持ちから生き残った被爆者の使命として命ある限り、無差別的原爆の残虐性を全世界の人々に伝えたくて、新聞やテレビ局などへ書いては投稿を続けて参りました。実は、私は平成五年八月六日、NHKスペシャル番組「焼け跡に一番電車が走った」この番組制作に当たって募集された被爆体験記に応募して採用されました一人でございます。ディレクターの川口正様始めスタッフの皆様に大変ご苦労とお世話をおかけして取材して頂きました。あれから十五年経過していますが昨日のことのように鮮明に撮影の日が思い出されます。
要請を受ければ、あらゆる会場で語り部活動に参加させていただき激励を受けて感謝しております。中でも今も心に残っているのは、東京の孫娘が書いた作文、おばあちゃんの被爆体験から小学校の担任の先生が是非にと誘って下さり、生徒に囲まれて話しました。先生も生徒も涙を流しながら熱心に聞いて下さって難しい質問もしてくれて驚きました。後からかわいい礼状が届き逆に感動致しました。私はこうして姉が気にして最も人に見せたくない顔の傷跡をいつも大きなマスクで覆って隠していたのに、さらけ出すように赤裸々に書いて発表したことを姉に対していくら謝っても申し訳ないと複雑ですが、この体験記を書いたことでテレビでは全国ネットで放送して頂きました。井原地区のケーブルテレビからも取材・放送して頂きました。そして「孫たちへの証言」という本にも載せて頂き先般、私の体験記の一部をDVDに納めて送って下さり感服しております。今や八十歳を前にして記憶力も劣り、目も悪くなって思うように書けなくなりましたが、核廃絶と二度と私達のような被爆者を作らないように、そして人間どうしが殺し合う戦争を絶対にやめること、ただひたすら世界平和が一日も早く訪れることを祈るのみです。私達は今年も八月九日に原爆慰霊碑にお参り致します。
今も尚核に怯える原爆忌 八枝
追伸
今年は五月に念願かなって、大分へ眠る姉の墓参りを久しぶりに果たすことができました。遠いので度々は行けなくて姉を置いて帰るようで立ち去り難く、写真を何枚も撮って帰りました。この前は姉妹三人で行った墓参りが、末の妹の容体が良くなくて妹と二人で行きました。乳癌の手術、腰の手術、糖尿病、心臓疾患で末の妹が一番難儀をしています。この妹は、最近まで被爆者手帳を取ることを拒み続けて私を困らせました。実はこの妹だけが結婚の際、被爆者であることを隠して結婚しているので手帳を持つ事を拒んだのです。妹の身に次々と難儀な病気が見つかり、とうとう手帳を頂く決心を、した訳でございます。被爆者とは、かくも悲しいものかとつくづく情けなくなりました。私もあまり丈夫とは言えませんが、好きな俳句や川柳に趣味を持ち楽しんでおります。もし川口様に連絡がつきましたら、井原市門田町の藤井八枝は今も元気でいることをお伝え下さいませ。驚くほど年を取りましたが夫と二人で、もう店もやめて野菜作りなどしております。姉の分まで生きて被爆者の使命を果たすつもりで頑張ります。
ありがとうございました。
藤井八枝 79歳
*読みやすいように文字の変換や句読点、送り仮名などを一部補っています
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