あれから五〇年にもなるか、と思えない程、八月九日の暑い日のピカドンの情景が今も脳裏にはっきりと浮かんで来ます。
ブルーン、ブルーンと遠くでかすかなB29の音が一万メートルの上空から響いて来てました。その時は空襲警報が解除になり、警戒警報の時点でした。私は母と妹二人の四人で、鍋冠山と星取山の中間に位置する、大浦の二本松という峠の所の掘立小屋の中に居りました。
父は三菱造船所、姉は女学生でしたが、動員で兵器工場に行っておりました。
「警戒警報やから外に出ようか」と母が云った矢先でした。ピカ!と薄暗い小屋の中に、稲光のような閃光が板の隙間からさし込み、みんなが「あらー!」と声を出したが、どうした事か誰も何も話そうとはしませんでした。それから一〇数秒後、ドカーンという大きな音と共に四五度位の半開き(暑かったので)にしていた小屋の戸板(扉)がバターンと締まりました。「わあー爆弾が落ちたばい。布団をかぶらんね!!」と母が大声を出しました。しばらくして近くで畑仕事をしていた母の甥が「おばさんおっとのー。なんか強い光があって目がくらくらするばい」とかけつけて来ました。
その時空襲警報のサイレンが鳴り響きました。三〇分程して外に出た私達は「爆弾の大きな雲やねー」と見ていました。
あちこちから人が集まり、「浦上んにきに大きな爆弾が落ちたげなばい」と話していました。
風もない夕方、浦上の方の上空には、茜色というよりオレンジ色のきのこ雲が大きく浮んでおり、もくもくとゆっくり上へ上へと、広がっておりました。
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