ふたまたにわかれた川面に、夕日の太陽柱が映える。祖父が眺めつづけていた夕景、無言苦行僧のように、火消しだった祖父、色白の美男子、いなせなねじりはちまき、出初式のはしごに舞う姿は、子供こころにほこらしかった。初孫の私をひょいと肩車にする。小走りになると豹の背中で風を切っているようだった。あの日、祖父はツルハシをかついで路地を歩いていて、一瞬の光線に、右顔、右手の皮膚は炎となった。右耳はとけた。水を求めて川への石段を降りていく、ひとたち、ひとたち、ひとたち、ひとたち。好きだった魚釣りをやめた。魚も、貝も、食べなくなった。あの日は私の六歳の夏だった。あの日の出来事は、過去は過去にならなくて雷光に背筋が寒くなる。ヤシの実の水が放射能汚染していた。庭に露草を植えて放射能雨の観察をした。スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故、川面の太陽柱は私の歩いていくさきざきに移動する。
一九九九・七・三〇
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