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荒木 常市(あらき つねいち) 
性別 男性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分)   執筆年  
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
先ず御逝去されました同志のご冥福をお祈り致します。

世界で唯一の、原爆により被爆地広島市、戦後六十周年を迎えるに当り、私なりの核廃絶の実現に皆様とご一緒に活動した、過去の一端を、振り返ってみたいと想います。福山市原爆被害者の会が結成されて以来、全員心を一ツにして核廃絶に向って、又、医療制度、介護手当制度等の為の活動、良く頑張って来れたと思います。そして、毎年よく協力的で、若い世代に「仲井賢行氏ご指導のこだま会」があります。当年で四十五周年を迎えて尚学生諸君の団体に引ついで、核廃絶に平和の為に頑張ってゐます。又さらに、協力!
 
福山原水爆禁止市民の会が昭和五一年七月一一日誕生(会長松永勝氏)、こだま会、すみれ会、延広教会(主 宮本様とご家族)関係者、YMCA、被爆者及一般者に呼びかけ結成し、一体し、毎月一回の集会合し、早速芦田川神島(カシマ)橋下流ゴルフ場付近に於て、灯ろう流し会を実行。八月六日一七時三〇分より開始する。二二時頃には全部、流し物は回収し川を汚さない為。流した灯ろうは四〇〇ケ以上。
 
灯ろう造りには、全会員は勿論のこと、幼稚児、小・中・高・一般の人々に依って造られ灯ろうの四面には(花)「原爆を許すまじ」又ハ千羽鶴を、家族の名前を、或は世界平和を祈念して書き入れ、造る人々の願いや祈りを込めて、川の流れに手を合せて、そっと流す姿は、・・・・感動・・・・。
 
その後の年八月六日の晩十八時より五〇~八〇名の金永清純先生ご指導の「御詠歌」集団の方々が参加して頂き、その灯ろう流し会も盛大に行はれました。満十年に亘り毎年毎年続きました。そうした間に他の集会の人々もご参加されました。…それぞれの各々関係者の皆様は、唯一つ世界が誠の平和であり、心安らかにして、ゆける暮しです。私が振り返り想い懐かしく思い出される活動した方々。福山原水爆禁止会の会員四〇名~五〇名位。
 
福山原水爆禁止市民の会は大過なく、発会より満十年間の業事を終了し、会員満場一致の上、会散致しました。が、行事灯ろう流しの最後に参加者がお帰へりの、その後に、ゴムボートに若い人々が乗り真暗闇の中を手さぐりで何時間もかけて、毎年四〇〇ケ以上の数を全部引上げた後、延広教会の広場で乾かして、主軸と紙とローソク等を区別して整理・収納してゐたのでした。が大変身に危険を伴なう業事ではありました。
 
こだま会は仲井先生のご指導の下、毎年、若人も頑張り今年四五周年を迎えて、益々未来に向って邁進しておられます。心より応援したいと思っております。
 
尚、私、平成十四年より十六年、毎年八月六日早朝七時半頃より慰霊碑の御前に対し、献茶式を、捧げる儀式をさせて戴いております。誠に光栄に思い、真心より御霊の御安らかに。世の平和を、祈りつつ皆様の御協力して頂き、続いて「八時一五分」へと、儀式は行はれます。
 
どうぞ貴方様もご健康には注意され、その儀式には揃って、揃って御目にかかり、御祈り致したく、切望し乍らまことに、ありがとうございました。

合掌     
荒木常市
福山市西深津学区
  

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