国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
被爆体験について 
相川 國義(あいかわ くによし) 
性別 男性  被爆時年齢 12歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市(千田町)[現:広島市中区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 千田国民学校 6年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
八月六日広島市千田町の自宅で被爆しました。小学六年生の、私しには、かなり長い間、本当の出来事とは思えず悪夢を見ているのかとしか、思えませんでした。空に閃光が走り数秒後、暗くなり、グワーッと熱風が吹付け気が付いたら広島市内は廃墟と化していた。その光景を見た時は現実とは、とうてい思えなかった。焼けタダレた人達がベロリとはがれた皮膚を、ひきずるようにして、よろり、よろりと歩いてる道路上には、黒コゲの死体がいたる所に、横たわっている。市電は台車だけ残し、その廻りには、乗客達の無残な姿、ねじれ曲った、黒コゲ死体、御幸橋の上も地獄図だった。千田小学校の運動場も被爆者で埋っていた。運動場も、橋の上も、焼けタダレた人達が水を求めたり、泣き叫んでいる。この光景は、現実なのか悪夢なのか。川には無数の死体が、流れゆく、水へと逃げ行く、道々、あまりにも、無残な光景を見る度に腰が抜け、うずくまる事しばしば。山に逃がれて、また、また、地獄を見た。…兵隊が、数ヶ所にテントを張り、被爆者を収容して、バケツに入れた、白い、ドロリとしたものを、頭からかけて、動き廻っている。兵隊の顔も、青ざめ、どうしたのか街で何が起きたのか…と被爆者に、聞くありさま。だれもが、信じられない事に、怖いていた…。ピカ…ピカ…と、光ったら、市内は廃墟と、なってしまったのに、何事が起きたのか答えられる人は、いない…。B29が、雨、アラレと、爆弾投下したわけでもなし、ただ、どうして広島は、こうなってしまったのか…それだけに、恐怖がつのる。
 
家の下敷となり、助けを求めるが…被爆者は逃れるのが、やっとなので、だれもが、助けようとも、しなかった。
 
そして、多くの人達が、地獄の業火に焼かれてしまった。何んと云う、惨い事だろうか。死体や、焼けタダレた人達の中から、父の友人に発見され、似島へと、連れて行かれたが、山ノ上の兵舎にすぐ、火傷の兵隊さんの看護に行かされ、目も、鼻も、口、もない、ドロ、ドロ、に焼け、タダレた、兵隊さん達。息絶えると、大きな、穴ノ中で焼いている。その光景を見て、幾度となく、吐いてしまった。その後、長崎へ帰るが、原爆投下後三時間後に、着いたが、まったく、広島と同じく地獄図そのものだった。これ程迄、恐しい原爆。 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針