八月六日広島市千田町の自宅で被爆しました。小学六年生の、私しには、かなり長い間、本当の出来事とは思えず悪夢を見ているのかとしか、思えませんでした。空に閃光が走り数秒後、暗くなり、グワーッと熱風が吹付け気が付いたら広島市内は廃墟と化していた。その光景を見た時は現実とは、とうてい思えなかった。焼けタダレた人達がベロリとはがれた皮膚を、ひきずるようにして、よろり、よろりと歩いてる道路上には、黒コゲの死体がいたる所に、横たわっている。市電は台車だけ残し、その廻りには、乗客達の無残な姿、ねじれ曲った、黒コゲ死体、御幸橋の上も地獄図だった。千田小学校の運動場も被爆者で埋っていた。運動場も、橋の上も、焼けタダレた人達が水を求めたり、泣き叫んでいる。この光景は、現実なのか悪夢なのか。川には無数の死体が、流れゆく、水へと逃げ行く、道々、あまりにも、無残な光景を見る度に腰が抜け、うずくまる事しばしば。山に逃がれて、また、また、地獄を見た。…兵隊が、数ヶ所にテントを張り、被爆者を収容して、バケツに入れた、白い、ドロリとしたものを、頭からかけて、動き廻っている。兵隊の顔も、青ざめ、どうしたのか街で何が起きたのか…と被爆者に、聞くありさま。だれもが、信じられない事に、怖いていた…。ピカ…ピカ…と、光ったら、市内は廃墟と、なってしまったのに、何事が起きたのか答えられる人は、いない…。B29が、雨、アラレと、爆弾投下したわけでもなし、ただ、どうして広島は、こうなってしまったのか…それだけに、恐怖がつのる。
家の下敷となり、助けを求めるが…被爆者は逃れるのが、やっとなので、だれもが、助けようとも、しなかった。
そして、多くの人達が、地獄の業火に焼かれてしまった。何んと云う、惨い事だろうか。死体や、焼けタダレた人達の中から、父の友人に発見され、似島へと、連れて行かれたが、山ノ上の兵舎にすぐ、火傷の兵隊さんの看護に行かされ、目も、鼻も、口、もない、ドロ、ドロ、に焼け、タダレた、兵隊さん達。息絶えると、大きな、穴ノ中で焼いている。その光景を見て、幾度となく、吐いてしまった。その後、長崎へ帰るが、原爆投下後三時間後に、着いたが、まったく、広島と同じく地獄図そのものだった。これ程迄、恐しい原爆。 |