私は或る木工工場の庭で被爆しました。
その日、照明弾の様な物体が三個、パラシュートでゆっくり落ちて来るのを発見しました。やがて烈しい閃光と同時に凄い爆風が私を襲いました。一メートル位跳ばされた様でした。回りは一瞬真白な霧に包まれ全く何も見えません。一、二分すると赤い炎が霧に混じって回りから迫って来ました。私の頭はすっかりパニック状態になり這う様にしてやっと出口から出られました。その頃は霧も無くなり長崎湾も遠くまで見える様になりましたが丁度日食の様に暗く、海の上には点点と血で真赤になった顔が浮かんでいました。海面はほこりの為か泥状に光を失い、遠く鬼火の様に小舟がチョロチョロと燃え始め、将に地獄の光景でした。電柱が立ったまま燃えている、傾いた家家も燃え出した。一軒の家からよろよろと頭から血を流し乍ら「助けておくれ」と私に近付いて来た。私は近くのリヤカーを拾って来て乗せ病院へ走った。道はがれきの山で走り辛く、でもどうにか病院まで辿りついた。
翌日は行方不明になった友人を探しに爆心地に向かった。黒焦げの死体が多く、どれも友人にみえたが又違うようにも思えた。
悲惨だったのは、何十台も竝んだ旋盤に一人づつ中学生がついていて立ったまま黒焦げとなっているのを見た時だった。私は歩いていてとても疲れる事が何であるか分らなかった。人間の焼けた臭いは何処までも私を追いかけて来た。友人は遂に帰らなかった。 |