山の中に軍用道路を作る為の勤労奉仕の二日目でした。朝から警戒警報が出ていたのが、空襲警報に変りすぐに解除になった為、学校と家とを行きつもどりつでかなり集合時間から遅くなったが集まった十人ばかりの友人と学校を出発し田上の峠の茶屋へ向かいました。茶屋には兵隊さんが迎えに来る事になっていたんですが遅れた為に茶屋の濡縁に腰掛けて待って居た時、突然黄色い様な閃光が走り防空頭巾をかぶる暇もなく、只頭にのせたゞけで各々テーブルの下にもぐり込むのと同時にガラガラガラとものすごい音がして、その后は不気味な静けさを感じました。それから敵機来襲の早鐘が鳴り始め子供達は防空壕へ行く様にと茶屋の人に云はれ、テーブルの下から出ようとして、周囲に情景が変っているのに気が付きました。瓦の破片食器硝子木片が一面に散乱し今迄腰掛けて居た縁側の硝子戸は無く戸が立っているものは硝子が無く桟がブラブラしているのを見た時は近くに爆弾が落ちたんだと思いました。
防空壕迄皆で走って行く途中空を見上げると山合から見える空が黒く赤く紫色がまじった様であの時もっと広く空が見える所であればきのこ雲が見えたのでしょうが、空もなくなったと思ってしまいました。防空壕に着いてから頭痛と吐気がして、清水で頭を冷やし落着いて来ると家の方が心配になり各々帰る事にして開散しました。途中迄人家が無い所は友人三人で走りお互いに話もせず泣きもせず。家が無かったら又合う約束をして各々我家への道を帰り始めましたが、人家が有る様になってからは道が瓦で敷きつめられた様に走る事が出来ず用心しながら歩いてやっと家にたどり着くと母が涙を流して良く帰って来たとだきついて着いて来た時今迄の張りつめた緊張感が一度に切れた様に泣いていました。姉も山越えして来る医大の学生さんの救護で帰れなかったと云い、浦上の方は全滅だそうよ学生さんが山を越えたら家が有るので驚いたと話して居たけどあのやけどでは坐って寄りかゝる事も出来ないでどうなるのかと心配そうでしたが敵機はそれでも時折偵察に来る為その度に防空壕へ逃げ込みました。夜は山と云っても長崎の山は丘程度のものでそこから、もえる長崎の街を見おろして県庁市役所と消失して行くのを見て一睡も出来ませんでした。二日間夜だけ山ですごし東望の浜の伯父の家へ私だけ疎開しましたがそこには従兄弟が体後半分やけどして蚊帳の中に寝ていました。
防空壕堀りの休み時間にあぐらをかいて坐っている時にあの光線にあたったのです。頭耳背中両上腕両大腿部両足の指の裏側全て皮フは失く脇の下あたりに黒く長くかたまっているのが皮フだと聞いた時は、半信半疑でした。うめき声と嗅いと暑さは苦痛を共有している思いでしたが、夜中に伯父にお願いだから殺してくれと訴えるのと伯母が声をころして泣くのを耳にして眠れなくなる時もありました。だけど終戦も知らなくて死んで行きました。苦しかったろう辛かったなあ楽になったか、と伯父は泣きながら話掛けていました。一九才の一人息子を失くした伯父も伯母も本当に辛らそうでした。
新型爆弾が原子爆弾だと知ったのはそれからしばらくたってからでした。
核のおそろしさは理解されて来てると思ひますが、今だに実験をしている国の人はどこに使用しようと考えて居るのでしょうか。人類には爆弾として使用しないで欲しいと思います。 |