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被爆体験について 
赤城 孝寛(あかぎ たかひろ) 
性別 男性  被爆時年齢 25歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
発令されていた警報が解除になり防空壕を出て平常の仕事を始めると間もなく、敵機二機が島原上空より長崎の方へ飛んでいるという警報が出された。事務所建物の中庭に設けられている防空壕へと走ったが、その時はもう爆音が頭上に聴えた。慌てゝ書類整理棚の傍にあった事務机の下に潜り込んだ。その瞬間ピカッと閃光が眼前を走り、窓硝子が粉々になって吹飛び机の下に隠れている頭から上半身に降り注ぎ、頭数個処に突き刺った。爆音が遠去かったので這い出て破れた窓から眺めると直線距離で二〇〇メートル程の処にある劇場の屋根が無くなっていた。爆弾はそこに投下されたものと思った。焼夷弾ではなかったとみえて火の手が上らなかったので類焼の惧れはないなァと同僚と話合った。北方の上空に真黒な巨大な茸雲が覆い暫らくは太陽の光が、その茸雲に吸い取られたのではないかと思われる程、真っ昼間だというのにまるで夕方のように薄暗くなった。やがて外浦町の県庁から火の手が挙り国道添いに官庁、銀行、旅館等市民が称している所謂官庁街を市役所方向へ燃え拡がっていった。後になって判ったのであるが、劇場の倒壊は爆風によるもので、原爆そのものは浦上松山町上空で破裂したということであった。県庁の火事も爆風により可燃物が火の気のあるところに吹き飛ばされ燃え上ったものと判った。
 
家族の安否が気懸りとあって定時には一応帰宅した。
 
その後断片的ではあるが、だんだんと情報が入り、市の北部浦上地区は壊滅状況になったという。家の背後の金毘羅山越しに空は真紅に染り一向に火の手が治まる気配はなかった。翌日は定刻に出社したが、浦上地区従業員家族の安否調査を私達若手社員は手分けして当たることになった。投下された爆弾は広島と同じ新型爆弾だということであったが、放射能云々の話は聴かされなかった。放射能の蔓延している地域で二日間に亘り駆け回った訳である。浦上地域の惨状は筆舌に盡し難いものがあった。 

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