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被爆体験について 
伊藤 美代子(いとう みよこ) 
性別 女性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は八月七日、一日中広島市内をさまよった人間です。だから直接の被爆者ではありません。その理由は、
 
学徒動員で富山県大門町にて戦闘機を作っていました。しかし、材料不足等もあったと思いますが、私たちのクラスだけ約四〇名山口県へ帰ることになりました。その出発日が八月六日朝、です。
 
夕方、大阪駅まで北陸線で到着したのですが山陽本線で山口まで帰れるかどうか不明、と、いうことを、夕方、大阪駅で初めて知りました。

「広島に一発の爆弾で、町が全滅」私たちは信じられず、デマと思いました。とにかく列車に乗り、翌早朝、広島県海田市駅で降ろされました。周囲は、どうもなっていないのだが、駅の待合室に入ってびっくりしました。半死半生の人たちでいっぱいでした。はじめて重大だと思いました。
 
それから広島市内に向かって歩き、己斐駅(今の西広島)まで行き、そこから列車にのり、翌朝八月八日、ようやく山口に帰りました。
 
途中は、広島市内はあちこちくすぶり、まだ、人々のうめき声、線路伝いに歩けば老人の死体、犬猫の死体、川土手は人々でいっぱい、蜂のワーン、ワーンというようなうめき声でしょうか。ガレキと死体との間を道なき道を歩きました。
 
己斐駅は大きく傾むいていました。
 
今でも「水」と叫ぶ人や、半裸の放心した人など、目に焼きついています。
 
その時の引率した先生、友人の中にガンで亡くなった人もあり、気になります。 

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