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未来への伝言 被爆の体験と証言 
森田 英雄(もりた ひでお) 
性別 男性  被爆時年齢 26歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 長崎市大浦町[現:長崎市] 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 第2総軍第16方面軍高射第4師団高射砲第134連隊(彗第8064部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
長崎市大浦町
西部八〇六四部隊 約一メートル余り吹っ飛ぶ

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
ピカードガン。何んだろう、兵舎より飛び出した途端、私は約一米余り吹っ飛び壁に叩きつけられ、煮湯を頭からぶっかけられたやうに思わず熱い熱いと叫んだ。頭を打った為か段々と気が遠くなり、あゝ俺もこれで終りかと思った時、班長殿班長殿と呼ぶ部下の声にはっと我に返り、防空壕へ飛び込んだ。どの位たったか様子を見に壕より出てみたら兵舎は半壊、今迄建物で見へなかった町がまるでブルドーザで押しつぶされたやうに無茶無茶、あちこちより火の手が上り私一瞬目を擦り擦り何回も見ました。その内に何んともいへぬ叫び声が聞へてきた。これは大変、唯々呆然と立ちすくんだ。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
昭和二〇年八月三一日迄、患者救護の為残留。被爆後約三、四日して発熱、歯根より出血、倦怠、頭痛、嘔吐等あるも救護に全力を尽す。
 
復員後、喀血、約一年位生死の境をさまよい、医者より一週間持てれば良いが、親戚に知らせて下さいといわれたが、奇跡的に助かる。
 
この間妻とも離婚、故郷の佐世保中央病院に三年余り入院。現在も足立区柳原病院に通院治療中。収入も年金と妻のアルバイトでやっとどうにか暮しております。これから先、見通しは暗いですが負けません。頑張ります。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
いやな事は誰でも話したくありません。思い出したくもありません。しかし、やはり原爆はひどすぎます。戦后五〇年経ってもまだ苦しんでいます。口をすっぱくして原爆反対を叫んでも何んの役にも立たないかも知りませんが、我々は貴重な経験をしたのです。二度とあってはならないのです。
 
やはり原爆反対を叫ぶ以外にないのです。
 
我々の子孫の為、行動することでせう。 

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