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未来への伝言 被爆の体験と証言 
赤沼 昭治(あかぬま しょうじ) 
性別 男性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 宇品凱旋館 船舶司令部(暁第2940部隊)(広島市宇品町[現:広島市南区宇品海岸三丁目]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部(暁第2940部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市宇品町
陸軍船舶司令部

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
八月六日起床前、空襲警報発令。宇品の防空ごう第二分所いた。八時十五分原爆投下の数分前B29の姿を確認する。
ピカドンの長い一日か、投下された時は火薬がやられたかと想像してたが、宇品の桟橋に集合。橋の方向って避難して来る大勢の人を見て驚きました。八月六日午前十時頃と思ふ、船で似の島に運んだ。夕方八月六日四時頃、編成四十名位で大発で広島の川岸に上陸。桑畑の中頃、市電■終点地あり。八月七日より八月一三日迄救援作業にて火葬の作業。八月一〇日比治山に連らく行った。九月七日海田市より復員。その後日赤病院の辺と云ふ事です。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
五十年七月、被爆者健康手帳うける。
 
東友会、大友会に御世話になっております。大友会の日曜集団健康診断を受けております。平成五年、腎臓結石の水中スーパ方式
 
手術を二回うける。
 
平成六年三月~六月迄通院しております。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
広島、長崎の被爆五十周年向かえ、原点にかえり核兵器ゼロを訴えます。 

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