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被爆体験について 
山田 寿子(やまだ ひさこ) 
性別 女性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 長崎  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
弟が聖サンフランシスコ病院に入院していましたので従弟と迎えに行きました。(その前に、上の家の奥様がガラスが体にさゝり伊良林小学校へ連れて行きましたが手当が出来ず連れ帰りました)山越えをして行きましたが、途中皮膚が水ぶくれ状になり、一枚シャツを着ている様になり、真黒になった人や水をくれ水をくれと言ってる人々に沢山会いましたが、どうしてあげればよいかわからず、その姿に驚き恐れるばかりで、今でも済まなく思ってます。
 
畠の中には頭も顔も身体も二倍三倍にふくれた人々が横たわっておりました。私達も神経がどうかなっていたのか唯弟の事ばかりを一心に考えて急ぎました。
 
幸い弟は病院の庭に避難していましたので、看護婦さんの承諾を得て両方から肩にかつぎ連れて帰りました。
 
その後学校で死体を焼く臭いや様子が毎日続き、私も少し毛髪が抜けたり、月の物がなかったり、傷がなかなかなほらず広がってうんだりしました。
 
弟は一二月に帰らぬ人となりました。戦争さえなければ、戦争さえなければと何度思った事でせう。
 
結婚の時も子供を生む時もとても心配で止めようかと何度も思いましたが、幸いに大した事もなく、今迄病気にかゝったりしながらも無事に過してこられた事を感謝しております。今後も充分に身体に注意して(少し神経質すぎると言はれますが)生きて行こうと思ってます。去年一〇月主人をなくしもう何も思いのこす事はありませんが、やはり死ぬ事は大変な事だと思って細々とでも頑張って行こうと思っております。宜しくお願いします。 

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