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原爆の広島で救護活動に出動して 
桶田 岩男(おけた いわお) 
性別 男性  被爆時年齢 16歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 賀茂海軍衛生学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆の広島で救護活動に出動して

広島に原爆が投下された時、私は加茂海軍衛生学校で教育中であった。救護活動の命令を受け直ちに現場急行、被爆者の救護活動に入り誰もがこの世の姿とは想像もつかない、とても言葉や文章では到底現すことの出来ない惨状でこれが地獄と言うものかと一瞬我と我が身を疑い強烈なショックを受けた。だが投下直後の現場に直行した我々救護隊員も全員が死の灰にさらけ出す事になった。見渡す限り焼土と化し、彼方山裾迄見渡せた。道端の無数のガレキの燃えくすぶる中から、うめき苦しむ声、助けを求める声が聞こえてくる。

又、何か所かの橋を渡るたびに、川の中を無数の人々が流れて行く。強烈な光と熱風のため焼け苦しみに耐え兼ねて飛び込んで死んで行ったのでしょう。

又防空壕の戸を開けて驚いたことは地獄絵以上の状態に猛烈な衝撃を受けた。強烈な熱風で防空壕の中の人は人間蒸し焼きいも同然と化し顔は歪み、如何にもがき苦しんだか計り知れない形相で壁に手で掻きむしった爪痕が生々しく残っていた。横川駅前の警察署を救護所に開設し消防団や他の救急隊の人達が運んで来た中には全身火傷はもちろん両足切断された人、皮膚がたれさがっている人、どこから手をつけていいのか迷うほどであった。

火傷の治療と食塩水、ブドウ糖の注射等、今だから言えるが助かる見込みの無い人は形ばかりの応急処置をした。「兵隊さん助けて」兵隊さん水を水をと懇願する声に胸が締め付けられる思いがしたが、水を飲ませるとすぐ死んでしまうので、今考えると飲ませて上げればよかったと思いました。三日目になり、食塩水が無くなった為に止むを得ず急造の食塩水を即席に精製蒸留し食塩水注射液として使用せざるを得なかった。救護所の廻りには数千人、その中に子供達も数拾人、中には着物に包まれた、赤子もいました。

子供はほとんど夢遊病者の如く、ショックで、口も聞けない状態でした。もちろん世界の誰もが経験した事のないこの世で一番危険で一番恐ろしい事が降り掛かったのだから無理もないことである。夜になって無数のガレキのくすぶる中で死体のリンが、あちこちで青白く光る(俗に火の玉)と言うのでしょうか不気味な感じと言うよりも、何んとも言い表すことの出来ない悲しみに覆われた事を今でも生々しく浮かんで脳裏に深くきざまれて離れません。

助かると思っている中でも何千人もの人が次々と死亡して行った。駅前広場は死人の山と化して行った。三日目になって突然引揚命令で我々救護隊は後続の救護隊と交代する事になりました。

その時初めて原爆であることを知り、これ以上永くいると放射能により原子病になる恐れありと言う事で後続の救護隊と入れ替ったが、兵隊さん助けて、兵隊さんお水を下さいの声が、何時迄も耳に残る思いに心を痛めながら引揚げた。

戦後衛生学校同期の会を作りお互いの健康管理を確認し合い乍らも現在迄同期中から七名が原爆病で死亡、数名が病の床に呻吟しているのが現状で、全員被爆者手帳の交付を受けているが、戦後六〇年過ぎ、戦争の風化が、叫けばれている今も発病の不安に悩まされ乍らの日々を送る今、一刻も早く国の責任において、世界で唯一日本人しか体験していない現実として法律による補償の制定こそ日本が世界に示す、平和宣言と言えるのではないでしょうか。

原爆を落としてアメリカでは、広島、長崎での清掃作業や、冷戦時代の核実験で被爆してがんや、白血病になった退役軍人や遺族に対し発病と被爆との因果関係を証明しなくても連邦政府の補償金を支給している。

補償金支給額は最高日本円で月額二五万円本人死亡の場合は夫人に一五万円支給されている。

原爆を落とされた日本は因果関係が、仲々認められず日本の被爆者は苦しんでいます。

当時アメリカにしか無いはずの原爆は今世界各国にあります。今こそ核廃絶をしなければ地球が滅亡します。そのために今、地球環境が異常な状態となり、それがさまざまな形で地球に現れて来るでしょう。その一つが異常気象となって地球に大災害となって、もう現実に来ている。これからは地球全体にその現象が起こらない事を念じたい。

「今からでも、遅くない」「核廃絶を」 

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