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未来への伝言 被爆の体験と証言 
加山 義翁(かやま よしお) 
性別 男性  被爆時年齢 24歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 長崎市本原町一丁目[現:長崎市] 
被爆時職業  
被爆時所属 長崎県立長崎工業学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
長崎市本原町一丁目路上
山里町に住んでたが、その時学徒動員工場に行く途中で直爆

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
長崎市本原町神学校裏の建物の蔭で直接被爆。原爆一発で様相が変り果て、裸の死体が下の川に累々として流れ積まれ、婦人のお腹から臍帯のついたまゝの赤ん坊が飛び出している黒焦げ屍体、皮バンド一本しか体についていない男の死体、悪臭がたゞよい、眼玉をむいてはえがたかっている物体、この地獄の真只中を彷徨して、近隣縁者、知人が次々と頭髪が抜けて血尿、血便をして高熱にうなされ、薬も手当法もなすすべもなく、次から次へと息を引取って行った状況の中、次は自分の番かとおのゝきながら過した日々、今でも思い出してぞっとします。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
爆心地から半径一キロ内に五日間過した後体調が悪くなり、無傷の人が次から次へと死んで行くのを見て佐賀の嬉野に疎開した。

一寸すり傷でも止血出来ず、おかしいと当時思ってたが、それが放射能により一種の原爆症とわかりました。

二十三年に妻が造血機能障害で他界し、自分もそんなに長くない命かと思い悩める日々を送って来ました。

現在高血圧、胆石症、痛風、腎臓機能は五〇パーセントに低下、要注意です。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
幸にして今日までどうにか生のびて来た命です。

あの悲惨な生地獄をうむ核爆弾を再び人類、否地球の上に炸裂させない為、核兵器廃絶に至るまで運動して行きたいと思います。
  

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