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未来への伝言 被爆の体験と証言 
吉田 一人(よしだ かずと) 
性別 男性  被爆時年齢 13歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 長崎市(伊良林町)[現:長崎市] 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 長崎県立長崎中学校 2年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
長崎市伊良林町
道路上で同級生の友人と立ち話していた。

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
学校工場に学徒動員中であった私は、八月九日早朝から休みを利用して島原半島の実家に帰るための汽車の切符を買うために、長崎駅の行列に並んでいた。途中、一たん空襲警報になり、退避し、解除後、列のずっと前の方にもぐり込んで、切符を買った。新中川町の下宿に帰る途中、伊良林町付近の路上で被爆、吹きとばされて板塀にぶっつけられた。その夜は山上の防空壕ですごしたが、翌日爆心地からつながるように歩いてくる負傷者たちの悲惨な姿が目にやきつけている。はだか同然のやけどのからだに木の葉や新聞紙などをはりつけたままで、ふらふらと逃げるように歩く人の群…。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
二十歳ごろからだろうか。長崎駅で空襲のとき、ずるいことをして列の前方にもぐり込んだために、ぼくは切符が買えて、原爆投下時に駅をはなれていて助かった。そのかわりに、誰かがワリをくって長崎駅に残ることになり、犠牲になった人がいるはずだと考えるようになった。胸の中にナマリが巣くい、だんだんそれが大きくなっていった。

原爆をなくすために、平和のために、私のかわりに犠牲になった人の分も力をつくさねば申しわけが立たない。そうした思いが私の生涯の道を決めた。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
「ふたたび被爆者をつくらない」ために、核兵器のない世界をつくること、原爆被害に対して国が戦争責任を明らかにして国家補償制度を確立すること。

次代を生きる人々が被爆者の願いを受けついで、運動をつづけ広げ、願いを実現してくれることを切望します。
 
【吉田一人さんの「吉」の部首「士」は、正式には「土」です。】 

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