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未来への伝言 被爆の体験と証言 
奥津 汪(おくつ ひろし) 
性別 男性  被爆時年齢 26歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属 海軍 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広町
呉より広の部隊勤務で兵員の治療を開始中
光と爆風と原子雲を見ました

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
原爆投下の翌七日より救護隊編制トラックで衛生兵と共に西練兵場(爆心地より五〇〇メートル)に至り、救護所を作り、何とも説明のしようもない悲惨な皮膚のただれを見て啞然とするばかり。リバノール肝油を塗り、テントの中に寝かせるのが精一杯。三日間従事したが、あなたはどこの誰さんであるかを聞いて記しておけばよかったと悔やまれる。助けたくても助けられない状態の被爆者をテントに寝かして次々と亡くなってゆくのが今もって残念でならない。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
爆心地より五〇〇メートルの所で救護活動した為、放射線を相当量浴びてをり、又戦后医師としてレントゲンの透視治療をしたりするので放射線を猶一層浴びていたので、いつも疲労脱力感が続いていた。又虫垂炎手術后の癒着で三度開腹手術(イレウス発生の為)し、上行結腸が使えず横行結腸に吻合術をし、結腸が短かくなり体力減退し、胃腸症状不良のまゝ現在に至ってをります。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
戦後五〇年過ぎまで生かされてきたことを感謝。

健康のゆるす間老人医療に従事し、老人の心の相談相手をしてゆきたい。

又原爆の語り部として若い人に折にふれ、当時のことを伝えてゆきたい。
  

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