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青山 恭子(あおやま やすこ) 
性別 女性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 教師 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
昭和二十年八月六日は朝から快晴日で早朝からハンカチが離せない日だった。いつもの様に芸備線の列車に乗り向原から一駅上りの駅(吉田口駅)迄乗車の一日が始った。何時もの様に吉田口駅に列車が着くと急いで改札を通りバスへ走って席を確保して…ほっとしていた。座席が取れないと背の低い私でも立席になるとバスの天井に頭が閊えて頸を曲ゲ目的地に着くまで、そのまゝの姿を崩せないので終点に到着した時、首が痛くて困った。

六日の朝も首を気にしながらバス停から学校まで約十二、三分歩いてやっと校門を潜った。玄関から教員室へ急いで「お早う御座居ます」の挨拶を済ませ、自分の机の上に荷物を置いた直後、青白い閃光が窓ガラス外で光ったのが目に入った(あれ?)何だろう?…と二、三人の驚いた声が聞えた。私自身も吃驚した。考えても分るわけはないと思った時、地の底から届いたかと思える「ドドーン」とお腹に応える様な音が耳に入った。これにも驚いたが…先程の光と音との時間差が少し有るので近い所で何か異変が起ったのとは違うだろうと?勝手に「ほっと」した。

ほっとしたのも消される様に誰かの大きな声が聞えた。外に居た人の「B29が来た!」と大声で叫ぶ声がしたと同時に校舎の方へ走った。「今日は嫌な日だね!」と誰の口からか?出ていた。B29は校舎の上を数回転回して北の方向に飛び去った。空爆機ではなかった様で、皆んなちょっと安堵の様子だった。空襲警報も鳴らないし何事かよくわからなかった。気味悪い日だったけれど今日は出征兵士の家の畑の開墾のお手伝に行く予定が組まれていたので、「あれをどうしますか?」と教頭先生に話すと、「予定通りに行いましょう」と言われ、引率者は福間(私の旧姓)と、生徒は十二、三名、一年生と二年生皆で十三名位で丹比と言う所まで行く事になった。暑い道を歩いて開墾お手伝へ行くとそこのおば様は喜ばれ「暑い中を有難うございました。怪我をせん様にして下さいのー用心して下さいよ!」と気遣って下さった。学校も幼い一年生、二年生しか学校には居ませんので済ません。三年生、四年生は学徒動員で一年以上前から軍需工場の方のお手伝に行って居ります。戦時中ですから上からの命令には背く事は出来ず言われる通り頭数も揃えて行かなければならず、幼い人達に動員の事を告げるのはとても簡単に言える事では有ませんでした。これ位はやれると思ってやり始めた事でも途中で頑張ろうと思ってやって見たけど此処までやっと出来たけど此の先はもう出来ないかも…と思ったら止めて…頑張ったけど出来そうも無いと思ったら私に言って下さい。途中迄でも頑張ったものは、ちょっと見ても解りますよ…無理は、しないでいいです後で私も手伝って仕上げましょう。「ちっともやって見ないでこれは出来ません…と…やって見ないで出来ない!…は駄目ですよ」難しい思っても自分で手を出してやり始めると意外と「スムーズに出来た!」と言う事もよく有る事です。その偶然が自分に自信を持たせて呉れて成功する人に成る人も有りますよ。女学生になったばかりの一年生には重荷でしょうが無理をしないで出来るだけやって見て下さい。皆さんが力を合わせて下さり私もやった事の無い事で足しにならないでしょうが一緒にやらせてもらいます。

「無駄だとやらない内から決めないで下手でも最後迄やる気を捨てないで時間を大切にしましょう。」と「先生、口から出まかせを云って学校に居て吉田病院や救護所でお仕事のお手伝をする場合はお手伝も割合とやり易いですが介護所では、なかなか気が安まる時が無い程大変です。」

農家に行って畠の手入れは出来そうもない私は手も駄目なのに口が役に立つ事が出来ませんでした。時間が経(たつ)と同時に少し宛鍬が入ると小さい石が出たのも除いたりだんだん軟かい土の畠の様子が見えて来ました。それに力を得た様に皆一生懸命に鍬を振り暑さの中頑張って呉ました。私も隅の方で皆と一緒の様な気になっていました。

時間は有難いもので鍬を振った所から石ころを運び隅の方に集め中央部は石ころの無い畠になった。隅の石を見ながら私は皆に「良く頑張って呉れましたね有難うこちらのおば様も喜んで居られるよ」と言うと、皆のお顔が嬉しそうに明るくなった。その時お家のおば様が来られ、「暑かったでしょうのー此のタオルで顔を拭いて下さい!」と井戸水で絞ったタオルを三枚位手渡して下さり冷い井戸水と洗面器を運ばれ、皆なで汗を拭かせてもらいました。生徒さんも「あ!涼しくなった!有難うございました!」とお礼を言っていた。当然の事と言われるかも知れませんが、その心が無ければ「これで汗を拭いて下さい!…」それを使わせて頂いて「有難うございました!」の言葉も出ない筈です。お互いの心の優しさが言葉になって現れたのです。私もその状景を見てとても嬉しかった事を忘れられません。

作業を終って足をひきずり気味に学校に向って帰りました。十二時をちょっと過ぎた頃に学校に着き、皆は「ほっと!」した様子でした。「御苦労様でした。少し休んでお昼御飯を戴きましょう。お茶は持って行きますから!と言うと、「取りに来ます!先生も暑かったんじゃけー」と言って呉ました。「そう!有難う準備が出来たら知らせるから!二、三人で来てね!」と頼んでお湯の部屋の方へ私は行った。

教頭先生へ無事帰らせて戴きました。当家のおば様も喜んで下さり帰りがけには「冷たいタオルで皆汗を拭きなさい」と心遣いして下さり生徒さんも、私が何も言わなくても「あー涼しうなった。有難う御座居ます」と自分達でうまくお礼を言っていましたよ、傍に居た私も生徒さんがうまくお礼を言っているのを聞いて嬉しかったです」と教頭先生にも伝えた。「いつの間にか大人になっていっている!」と安堵した。

生徒さん幼くても挨拶は適当に上手に出来て居りました。今日は低学年さんだから…と少々気に懸らないでもありませんでしたが生徒さんも元気も有り、はきはきしているし横合から言う事も有ませんでした。
  

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