当時私の家族は父と姉二人の四人家族で翠町に住んでゐました。八月六日の朝は七時頃父が舟入町の会社に出勤し次女も宇品町の会社に出勤し私も三篠町の会社に電車で通勤してゐましたが其の日の朝頭痛がして会社を休みました。長女は母親がわりでしたので家事をしてゐまして裏が畠でしたが洗濯干し場があり外にゐました。ピカッと光がガラス窓を走ったと思ったらドカンと音がして屋根が落ちて来て真暗になり大声で姉を呼びながら裏の方にやっと出る事が出来ました。ラヂオが棚から落ちて来て頭に当ったのを憶えてゐる位です。
外で姉が私の名前を呼びながら泣いてゐました。二人で思わず抱き合った時姉の背中が洋服が無くハダカでこげついてゐてびっくりしました。間もなく助けて!と声がしたので二人で行って見ましたら隣りの八百屋が全壊してゐて叔母さんとお兄さんが下敷きになってゐると妹さんがさけんでゐましたので声を聞いてかけつけた七、八人の人達が助け出そうとしましたが女性ばかりで力がなく時間がかゝりお兄さんは怪我をしてゐましたが何んとか立てましたのに叔母さんは時間もかゝりやっと見付けて出した時は死んでゐました。お昼頃になったら近所の人がボロボロになって帰って来ても誰が誰か分らない状態でした。
次女の会社の人が自転車で安否を確かめに来て姉も社内にゐて無事だったけど次々と火傷の人が会社に帰って来て手伝いのため帰れないと告げて行かれました。父がなかなか帰って来ず心配しましたが夕方やっと歩いて帰ったとケガもなく帰って来て無事を喜び合いました。父が途中で見た地獄の様な状況を聞き泣きました。夜は裏の畠で寝ました。私も何時もの時間に出て電車に乗ってゐれば丁度相生橋の近くの時間でした。運命を感じました。 |