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八月六日 
小合 淑子(おごう としこ) 
性別 女性  被爆時年齢 14歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校3年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

一、八月六日
夜明前からの空襲警報が解除されて息苦しい緊張から少しの落ち着きを取戻す間もなく学徒動員に駆り出されて居た私は国防色の制服にモンぺを穿き救急袋を肩に警報におびへがちな神経を必勝の信念で抑えて天満町の工場に急いだ。七時、土橋の電車交叉点は三菱の工員と建物疎開の作業に従事するために郡部からの奉仕隊が幟をたてゝ白鉢巻き、黒装束の出立ち、それに動員学徒の群でごった返して居る。呉も焼けた、岡山も、広島はもう勝つまで焼けはしない、勝利の日が早く来ればいゝのに、戦争が早く終ります様にー。

十五才の少女の脳裏に懐疑はなかった。B29が落した宣伝ビラに、―疎開するなら広島に―と書いてあったのだそうなー広島は水が多いから少々の爆弾や焼夷弾は消されるのでそんな事はやめて山のダムに爆弾一個落せば全市は洪水で流されてしまうーなどデマとも真実ともつかぬ噂が最近しきりに賑はう。

しかしそれと前後して竹製の「ウキ」が各家庭一人一個宛て配給せられた。

土橋で電車を乗換へて天満町で降りる。附近のラジオが警戒警報の解除を伝へる声に安堵しつつ工場に急ぐ。昨日に変わらぬ真夏の太陽は遠慮会釈もなく頭から照り付ける。七時三十分!人員点呼が済んで仕事にかゝる。最近私達四十数名が来たので警報が発令されると壕は立錐の余地もない。必然的な要求に迫られて二班に分れて壕を掘るのが二、三日前からの私達の仕事なのだ。深さはもう脊丈(せたけ)程ある。白い半袖のユニホームと油のついたモンぺに穿きかえて最初の休憩を茶色の鉄粉のついた机にもたれて本を読む。二十分もたゝない中に「交代ようーッ」気の早い誰かが外から叫んで居る。やれやれと手拭と帽子を持って立ち上った。途端!! 青白い黄色味を帯びた光の塊が落ちてバリバリと裂ける様な音、「あっ東側の入口だ」二つ三つ、「スヰッチがショオトしたな」咄嗟にそう思った。無意識的に足はもう一つの南側の入口に、しかし又もや青白い塊が前後して三つー、「いけない窓から」と思った時はもう暗黒の世界にとざされて居た。「こんな事があるのだらうか、本当に見えないのか、夢ではないのか、見ようと焦った。」―たゞ闇であるー慌てては不可ない落ち着いて、大きく眼を見開いて指を顔擦(す)れ擦(す)れにもって行く。見えない! この上から又あの光の塊が落ちて来たらー、死? そんな事、弱い否定……

それからどれだけの時間が経ったろうか、ほんの一秒間の出来事の様な気がする。しかし又遠い昔の夢の様な気がする、この間の記憶は永久に私の脳裏から消滅してしまったのである。気がついて見ると材木の間をくぐり抜けて屋根の上に這い出て居たけれどもはっきりした記憶はない。一(ひと)たまりもなく崩壊した工場の上に這い上がって塵埃の未ださめやらぬ余燼(よじん)の中に呆然と立ち尽くした。

「これが空襲なのだろうか、警報も出て居ないのに。」ちぐはぐな気持、しかしそこには信じざるを得ない現実の姿があった。口中は乾いた灰で撫で廻はされた様だ、ジャリジャリとして唾液も出ない。咽喉(のど)をさらへる様にして唾を吐く、真黒。持って居た手拭で口の中を拭う。

少時の沈黙を破ってあちこちから助けを求める声!「お母ちゃんーッ」泣き叫ぶ声!!「誰か手をひっぱってー」下の方で小さな声がする。「誰?満田さん?この手につかまって」

力一杯引く。左の顔面が腫れ上がって頭から灰をかむった様な髪は千々に乱れ反り気味な唇は血と泥で塗られてゐる。「顔が腫れてるわ 痛い?」「ううんそうでもないけど少しつっぱるわ、貴女も血が。」人から見れば自分もそれと同じ形相をして居るに違ひない、血糊で顔がこわばった感じだ。「清水さんーッ」返事がない。もう一度呼ぶ。「出られないのよ」泣きそうな声、材木と材木の間にはさまって腰から下が出ない。どうしても出さねば、痛いけど我慢して、二人で思い切り引く。出た、ユニホームは破れて脊は血みどろ。材木の間をくぐって下に降りる。横田さんがお母さんを呼んで来てと言って泣き叫ぶ。「すぐいらっしゃるわ早く逃げませうさあ起きて、早く!! 鍵裂きになった脊はこれも亦血と土と、「起られないの?」手を持って漸く坐らせる。「早くしなければ火が廻って来るわ、早く逃げませう、ね早く」それでもまだお母さんを呼んで来てと平素に似合はぬ駄々っ子だ。

「あっ寺本さん!!ゾッとするような霊気が脊を走る。怪談に出て来る幽霊の様に髪をふり乱し眼をとぢて白蝋の如き顔! しかし鳴呼その首は機械の間にしっかりはさまれてしまって居るのだ。機械を除けてあげなければー。誰も手を出さない。さっき迄一しょに騒いで居た友なのに、余りの恐怖に手が出ない。体内を走る戦慄は身体の自由迄(まで)奪ってしまうものなのだ。何時の間にか今まで居た友の姿を見失ってうら淋しい孤独におのづと身ぶるいがつく。「寺本さん許してー」心の中で合掌する。「早く」心がせきたてる。救急袋など何処にとばされたか見当らぬ、今朝はいて来た下駄がころがって居る。下駄なんてー、いっそ跣の方が身軽だ。しかし方角はたたぬ。

二、工場をあとに
分からぬまゝに人のなだれに続く。地獄からぬけ出して来た様な形相は叫ぶ勢なく、呻く声なくたゞ黙々と途方にくれた足取りで後から後から続いて居る。倒壊した家屋を踏みわけて進む。その家屋のところどころから火の手があがって居る。素足に釘がたって痛くて思う様に歩けぬ。下駄を捨てて来た事に後悔を覚えつつ足をひきずり乍ら遅れじと後に続く。又重なり合った材木のあちこちから、逃れゆく人の足元から火の手は容赦なくー、自転車を担いで居る人、連れて逃げようとする人の気も知らぬ馬は怖ぢけづいて動こうともせず首ばかり振り続けて居る。橋の袂に出た、福島橋だな、真直行けば己斐の山に逃げられる。「もし空襲をうけたら家にばかり帰へろうと焦らず己斐の大崎さんへ避難させてお貰いなさい」母の言葉が浮ぶ。しかし渡りつめた向うの道の両側は火で包まれて居る。家が気になる。南を見る。煙は上って居ない。「舟入の方は焼けてるでせうか」通りがかりの警防団の人に聞く。「どこもこの通りだからな、恐らく駄目でせうよ」全市が火の海と化して居る今この人に舟入の私の家の何が分ろう、それとは知りつつも聞かずには居られないのだ。

川に降りよう、両岸が焼けても川の中まで焼けはすまい。橋の根元を伝って降りる。天の助けか干潮だ。いつもは貝掘りで賑わうであらう洲の上には少しでも安全な避難所を求める幾百の人の呻きがあった。裸のまゝ布団にくるまった老人、シュミーズ一枚で泣き声さへ出せぬ赤ん坊を抱いた母親、水の中には焼けたゞれた小さな女学生が「小父さん殺してよー はしるー、小父さーん頼むから」手を合わせて通る人毎に向かって泣き叫んで居る。その手は皮が剥がれてボロボロの様に下がって居る。「も少しの辛抱だ。誰かゞ助けに来てくれるからな」その言葉も痛みを柔らげる薬にはならない。怪我をして居ない自分の身体(からだ)が不思議であると同時に彼女の叫びを聞くと自分の罪の様に責められてそこを逃れて人の少い水の中に坐る。

突如、雷と共に雹(ひょう)にも似た大粒の雨が頬にたゝきつける「敵機だ伏せー」雷鳴なのか爆音なのか判別はつかぬ。水の中に腹這ひになる。ガスの臭気を含んだ生ぬるい西風が水から出て居る顔を撫で廻す。窒息しそうだ。たゞ頼るものは神のみー。

雷鳴は止んだ。しかし雨は益々烈しさを加へる、歯がガチガチ鳴る、全身ずぶぬれ着るものはない。「いくじなし」歯をくひしばる。怪我はしていないと思ったがいつの間にかユニホームの胸は真赤だ。どこから出血して居るのか分らぬ。痛くもない。ふるひは止らぬ寒さは加はる一方。

何かー、辺りを捜す。トタンが風に飛ばされてあちこちに転って居る。それを拾って頭から被る。トタンに当る雨の音が耳に痛い。あゝ家に帰へり度い。この川を下って屠殺場の処の橋から道に上って真直ぐ行けば帰へれる、しかし誰も下って居る人は居ない、水は股のあたり、深いところは腰まである。「潮が満ちて来たらどうする、さあ今の中に」岸近くには沢山の人がひしめき合って居る。石垣をつたって道にあがる。ずぶぬれの体を燃えてゐる火で乾かす、漸く寒さから解放されて幾分生気を取戻した感じだ。川に沿って下る。通った事もない道。しかし下れば帰へれるという意識が夢遊病者の様に何も考へないで機械的に足を運ばせている。軍刀を吊した将校と兵隊の数人が小走りに通り過ぎる。それを追かける様に一中の生徒らしい中学生が「お願ひです! 母が下敷きになって出せないんです、手を貸して下さい。お願ひです」「よし」将校と兵隊はそれに續く。

この感激すべきだろう事実さへ一滴の涙も誘はず感謝の心も湧かず遠い世界の出来事としか思へない。人間一個の生死すら今はほんの一現象であるにすぎない。運命に逆らう事は出来ないのだ。この辺りは倒壊した家はあっても火の手からは逃れた様だ。

「血が沢山出てるぞ、その手拭でおさへなさい黴菌がはいるよ」血塗れの私を見て親切に言って下さる。足の裏の傷に泥がはいって踵をあげなければ歩けない外少しの痛みも感じられない私には一体どこから出血して居るのか分らぬ。「肩ぢゃあないのかね」痛くもない左肩を手拭でおさへる。

行けども行けども見知らぬ周囲に錯覚をおこして居たことに気がついた。もう一つ川を渡らねば帰へる事は出来ない。はりつめて居た気が一度にゆるむ。「あゝー」「バカッ勇気を出して」火炎のため観音橋は渡れない。

三、焼けて居なかった家
昭和大橋に廻って土手伝ひに歩く。「助かった!家は焼けては居ない。」坂を走って玄関の方からー、「お母ちゃん!」「………」返事はない。恐る恐る家の中に入る、もう一度呼ぶ。答へるものはない、そんな筈はないのだが、焼けなかったとは言うものゝ玄関の戸はどこに吹飛んだか見当らぬ、表札は焦げて黒くなって居る。棟が電気のコードに危うくぶら下って今にも落ちそうだ。押入れは落ちてしまって鏡の破片、襖、障子、神棚、みづ屋、天井、瓦、壁、窓硝子がこなごなに散乱、足の踏場もない。柱時計が八時十五分を指してその中に転って居る。人の気配はない。もう一度表を廻って裏に出る。

無花果畠に隣組の皆んなが居られる、母の姿を求めたが見当らぬ、「あっ淑ちゃん」誰かの声がして皆の眼が一斉に、それらがぼーと霞んでこみ上げて来るものを抑え切れず「わっ」と泣いてしまった。「よく帰へれたね、よく帰へった帰へった、お母さんはね、今ちよっと箱田のお兄さんと火傷の薬をつけに行かれたのだからすぐ帰へってよ、さやめて、それぢゃあお母さんがびっくりされるから血を洗って」優しく脊を撫ぜて言はれる皆川のをばさん、幼い頃なだめすかされると益々声をはりあげて泣いたものだがそんな贅沢は許されなかった。やめようと思っても鳴咽は止らぬ。山崎の宮子お姉さんがポンプを押して腕に繃帯して下さる。頭から首すじを伝って前に流れた沢山の血にも拘わらず傷はほんの少しだ。頭だから多かったのかも知れぬ。

もう一度家に入る。壁土の中からあり合せの服をひっぱり出して血糊でゴワゴワした服とモンぺを着換へる。衣裄(いこう)にかゝって居たモンぺは硝子であちこち破れて居る。床の間が抜けて仏壇が落ちそうなのが不気味だ。窓ガラスは皆木端微塵に飛散って影はとゞめぬ。一体何個の爆弾が何処に落ちたというのだろう。数学の方程式の様には解けない信じ難い現実が謎として残った。

母の火傷は案外ひどかった。両手が二倍位に腫れ水泡でブヨブヨ。防空着の肩とモンぺの両すねは焦げていない。右足の甲は皮がぶら下って居る。でも木の根元には先刻見当らなかったブラウスやワンピース、忽(たちま)ち必要とする衣類や書類をつめたボストンバッグが出してあった。

今朝出掛けたまゝの家族の安否を気遣う人人の面持ちは深刻を通り越して悲壮だ。誰かが帰へって来ると「帰へった帰へった」の歓声が湧くが帰へらぬ人への気兼ねからすぐ止んで重苦しい空気が停滞する。「あっ兄さん!」四時過ぎだろうか、お友達の永田さんと、「永田君の家は幟町だから駄目だと思って一しょに帰へった、道は煙とそれに電線が切れてぶら下ってゐるし、まともに歩けやあしないその下をくぐり乍ら帰ったよ、トラックに乗っていたらね「ピカッ」と来た「あっ」と思って眼と耳をふさいでミゾに伏せた、上から沢山の人が重って来たようだった。気がついて空を見ると、実に奇麗だったね、壮観と言はうか、夕やけの様な赤、黄、橙々の雲が空一杯にー。」どこも怪我をして居ない兄は元気だ。永田さんの頭の繃帯から血が滲み出て居るのが痛々しい。血みどろのシャツの変りに兄のシャツと服をだしてあげる。

「お母さんの手で出せるものは出したけど何時火が廻って来るか分らないからも少し出してをいた方がー。」 私達が帰へらぬため倒れては不可ない気持ちから歩く事も出来た母は時間が経つと痛みのため歩けなくなってしまった。砂地に根が張って凸凹している上にゴザを敷いて坐る。肩の火傷に油を塗って母の肌着はベトベトだ。「あのね嬢ちゃん、火傷にはオジャガを大根おろしでおろしたのが冷たくて気持ちがいゝそうよ。」岡本のをばさんが何処からか聞き込んで教へて下さる。少しのうづきでも柔らげる事が出来たらと藁をもつかむ気持で早速水泡の上におろしたオジャガをのせて繃帯する。野口英世の悲劇が頭をかすめる。腫れのため開かない指の間に無理をして繃帯を通す。しかし熱のため馬鈴薯はすぐ温まってしまう。暮色が迫るにつれて人々の顔は焦燥と悲痛を増してくる。父は帰へらぬ。

四、眠れぬ一夜
今日帰るべく人は帰へって来た様だ。「お父さんは沢山の死傷者が出ただろうし責任があるし色々用事があるから帰へれないのね」母に言うともなく自分自身に言ひきかせる。蝋燭にマッチを擦る事さへ許されぬ。無花果畠から藷畠に続く坂に風呂敷包みを枕に、永田さんは頭を横にして、でも兄達はすぐ眠ってしまった。蚊の襲撃に団扇を休める事は出来ぬ。母は両手を胸にのせて、「痒ゆい」と言われる。掻く事も動かす事も出来ない手。蚊は同情はして呉れぬ。おろおろする私、変れるものなら変ってあげ度いものをー。

北の空は真昼の様だ。機械的に手を動かし乍らうつらうつらする間もなく「ウーーー空襲警報を告げる遠くのサイレン、続いて三菱造船のサイレンが恰(あたか)も地獄の鬼が針の山を逃げまどう人間を嘲笑うが如く、おびえ切った神経には無関係にうなり続ける。眠って居た子供達は泣き叫ぶ。叱咤する声、すぐ泣き止む。母の上から布団を被る。頭を低くして息を殺す、蒸しかへる様だ。今度は駄目かも知れぬ、烈しい生への執着が頭を抬(もた)げる。死ぬものか、張った虚勢と爆音とー、わっと布団をはねのけて絶叫し度い、待て、それをした処で何になる? 自然が与へた運命に対して人間は無力だ。額に汗が流れる。

爆音が去って生き返った気持だ。「オーイー」堤防の暗闇の中から声がする。救援のおむすびが届いたのだ。漸くにぎれる位の大きさ、昼食も夕食も取らぬ胃は忘れていた食欲を急激に取返した様だ。呉の空襲の際母達は一生懸命おむすびを作った。それが今一つのむすびに舌つづみをうつという人間の運命を誰が予測し得たろう。

五、父を求めて
長い暗黒の夜は明けた、有り合せの米を持ち寄った隣組の共同炊事で朝食を済ませそれぞれ帰へらぬ人を求めて、父を母を、兄を弟を、火炎燻ぶる街へ向って、

「道に倒れて居る人の顔をよく調べてね、もしお父さんだったらお水を飲ませてあげてそれから…… 」母の言葉を胸に防空頭巾 靴下、出来るだけ身体の露出面を少くして兄と永田さんと出掛ける。江波口から舟入本町、土橋に通づる電車の線路に筵(むしろ)を敷いて火傷でズルズルの人が裸のまゝころがって呻いて居る。膿と大小便、誰もかまう者は居ない。肉親を捜し求める人のみがもしやとそれらの人を痛々しげに眺めるのみである。

土橋電車交叉点、ずらりと並んだ負傷者というより生死の境を喘ぐむくろに照りつける太陽は昨日、一昨日と変る事なく今日も強烈だ。布ぎれに小さく負傷者収容所と書かれた旗、呪ひか、祈りか。生と死の二つの世界はあまりにも近い。美しい天国、神々しい光、はすのうてなにゆかしい香りがたゞよって、

しかしまのあたりに見る死とは、苦しさにのたうつ者のその苦しさ故に求める生命の休息所にすぎないではないか。悶死した幾多の人の捧げたものは果して清い祈りであったろうか。

光道館、こゝにも沢山の人が収容されて居る。コンクリートの地べたに筵、裸、「水!水!」求める声、四斗樽の水をやけたゞれた手に杓を握ってガブガブ飲める者はまだしも起き上る力さえなく「頼むから、ミヅを……」途切れ途切れの言葉を胸に合した手が助ける。尋ね求める父の姿はこゝにもなかった。むんむんする屍の臭から逃れて外に出た。くらくらと身体の中心を失って私は蹲(うずく)まってしまった。天地がぐるぐる廻る。兄達に先に行ってもらって暫く休み、又立ち上って死体の顔をのぞき込み乍ら歩く。十日市の電停は黒焦げの山だ、骨がのぞいたのがある、水槽のほとりに一家らしい大人、子供の四、五人が折り重って居る。昨日まで笑ひさゞめき合った人達であろうにー。枯木の燃えさしの様に黒く重なり合った死体は合掌するにはあまりにも多すぎた。
  

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