今こそ伝え残さなければ
広島に原爆が落とされた時、私は軍医として召集された夫の広島郊外の実家の病院に居た。トラックで次々に運ばれた二百人もの傷ついた被災者を、老医師の義父と六人の看護婦は休む間もなく手当てを続けたが、病院に入りきれぬ被災者は、土に敷いた筵の上で呻き悶え泣き、この世の事とは思えぬ惨状だった。医薬品も底をつき手伝った私達家族も疲れ果て迎えた次の朝、待合室に朝陽が差し込んだ隅に一人の少年が壁に向かって身動きもせず横たわっていた。被爆時に帽子の中だった頭髪は残っていたが、首から背中にかけ無残に焼け爛れている。余りの酷さに思わず近づくと、気配を感じたのか朦朧とした目を向け「僕の順番はまだでしょうか」と訊くので「すぐ先生を呼んでくるから待っていてね」と言うと、「看護婦さん水を…水を下さい」と苦しそうに言う。水を飲ませたらすぐ死んでしまうと聞いてはいたが、少年の空ろな目にはもう生きる力はもう残っていないようにみえた。最後のお願いをきいてあげなければ。私は夢中で走り一杯の水を汲んで来た。少年はその水を飲んで息が絶えた。もう我慢出来ず私の涙はもんぺの膝に滴り落ちた。まだ幼さの残る中学一年生、学徒動員で被爆し先生や友達ともはぐれ、漸く逃げのびた知らない所で「お母さん」とも呼べず「助けて」とも云えず、唯一人で死んでいった少年を思い、最近の世界情勢に今こそ心から平和を祈ります。
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