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尾糠 政美(おぬか まさみ) 
性別 男性  被爆時年齢 24歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 宇品凱旋館(広島市宇品町[現:広島市南区宇品海岸三丁目]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部(暁2940部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 


宇品の陸軍船舶司令部(暁部隊)の写真班に所属し、暁部隊の行動を記録し、作戦報告・或いは防空対策の資料とするのが私の任務であった。

5日の日曜日に、楠木町の下宿に引越したばかりで、慣れぬこともあり、引越した夜は警報続出のうえ、大変暑くて寝苦しかったから、6日の朝は何時もより早く起き、8時前にはもう部隊に出勤していた。

私たち写真班7人は、凱旋館の前庭で、毎日のごとく訓示を受けている時に被爆した。突然、強烈な黄色い光が目の前に拡がり、ドンと腹にこたえる轟音が伝わった。一瞬、その場に伏せた。しばらくして頭をあげると、建物の中にいた者が、窓ガラスの破片で顔を切って血だらけになり、悲鳴をあげていた。しかし、爆撃を受けた様子もない。

写真室に帰ってみると、棚が落ちている。ほとんどのガラスが割れている。「これはかなり大きな爆発だな」と思い、兵器廠かガスタンクの爆発だろうかと話しあった。しかし、それもつかの間のことで、市内の方向に黒煙が立ち昇り、空は入道雲が幾重にも重なったような不気味な様相に変っていた。

時が経つにつれ、市内各所が大火災となり、壊滅的な打撃を受けたことが伝わった。参謀部の某中尉が、命令で「市内の居住者は帰宅せよ。」と伝えてきた。私は皆実町に母と義姉、平野町に実姉がいたので、まず皆実町に向って司令部を出た。 

その頃、すでに表通りには、負傷者が続々と避難して来ていた。真黒く脹れあがった顔、ザンバラ髪、ボロボロに焼けた服など、文字通り幽鬼の群が続いていた。電車通りは、港に向う被爆者で埋っていたから、汽車の宇品線に沿って歩いた。皆実町の家は、少し傾いたぐらいであったが、誰もいない。隣り近所も人影がない。タンスが裏庭に吹きとばされていた。私は平野町の実姉の家に行くことにし、電信隊の前を通り、比治山橋まで行ったが、それ以上は火の海で、とても行かれなかった。そこで、下宿先の楠木町に向った。比治山の西側道路も通れそうにないので、比治山の裏側の段原町を、「水をくれ、水をくれ。」と呼ぶ声の中を泳ぐようにして歩いていった。

水槽の中に首をつけて死んでいる婦人、家の下敷きになっている子供や老人を目に見ながら、ようやく広島駅の手前までたどりついた。これまで、ガダルカナルの撤退作戦やブーゲンビル島の戦線で、多くの悲惨な場面を見てきたが、それどころではない惨状である。私は下宿先に帰るのを諦めて、宇品の司令部へ引返した。

翌7日、午前中は、司令部に殺到した負傷者の収容作業につき、似ノ島に収容する死亡者の運搬、ならびに負傷者の救護にあたった。午後は、収容所の活動状況を撮影のため、似ノ島に渡り、多数カメラにおさめた。軍医の指示により、焼けただれた負傷者や一か所に集められた死体などを次々に撮影した。

8日と思うが、憲兵隊の要請により、憲兵2人と私の3人で、市内の収容所を撮影してまわった。比治山や段原など2、3か所の収容所を経て、相生橋まで行き、爆心地に近い商工会議所の残骸にあがり、その3階から相生橋の破壊状況を撮影した。この写真1枚は、現在、川原四儀氏が保管している。その後、水主町の県庁など撮したように思うが、その間、どこで憲兵と別れたか、はっきり憶えていない。

広島赤十字病院や福屋百貨店の収容所、被服廠の収容所、袋町国民学校の一部の収容所などへも行ったが、「苦しい、苦しい。」と訴える少年の姿、無残な姿の女学生、動員学徒など、ファインダを通して見るとき、いつもの冷静さではいられなかった。 

母を探しながら平野町に行ったとき、比治山の橋の下に集っている人々の中で、母の名を呼び続けたが、ついに見当らなかった。三次から出て来た兄と2人で、さらに母を求めて焼跡を歩きまわったが、これも徒労に終った。現在まで行方不明のままであるが、西練兵場で火葬するために集められた死体の山の中に、あるいは富士見町付近にあった死体の山の中に、探す母がいたのではないかと思われる。それとも、26年間、似ノ島の土の中に埋っていた死体の中にいたのではないかと思う。このとき、使用したカメラは、キャビネ暗箱・マミヤシックス・35ミリ版ライカとハンザ―キャノンであった。
 
出典 広島市役所編 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』 広島市役所 1971年 980~982頁
 
  

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