国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
3.5キロで被爆者 
石崎 幸子(いしざき さちこ) 
性別 女性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2008年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

家の中に居た私は光った瞬間ガラス越しではあるけれど、まともに光を浴びた。窓ガラスは粉々にわれ、畳にも突き刺さった。私にも腕、足などにも突き刺さったけれど、顔には怪我は無かった。終戦になり、学校も校舎は傷んだけれど講堂と工業室だけが何とか残っていた。生徒も建物疎開に行かなかったクラスと先生方が残っていた。残された先生、生徒たちで、帰らぬ人となられた方々の慰霊祭を工業室で執り行われた。亡くなられた先生、生徒の方々のご家族が参列され涙の告別式。答辞を涙ながら読んで自分の席に帰ろうとした時、ある、お母さんが私の前に来られ、家の娘は焼け死んだのに貴女は生きているの、といわれた。私は言葉も無くただ泣くだけで、頭をさげていた。其の時の辛さは八〇歳を過ぎた今日でも、忘れる事はできない。

甲状腺ガン。左側は早く手術が出来たのですが。右側は如何する事も出来ないと、広島大学病院の先生から宣告を受けました。「大腸ガン、手術」一〇年が過ぎました。被爆検診は必ず受けに行っております。

「右側の甲状腺」頭から離れる事はありません。薬も「朝、夜」忘れないように飲んでいます。

 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針