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私の被爆証言 
市原 憲二郎(いちはら けんじろう) 
性別 男性  被爆時年齢 9歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 長崎市滑石郷[現:長崎市] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 西浦上国民学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

一九四五年八月九日当時、長崎市本篭町から建物疎開で爆心地から三・八キロメートルの滑石町という道の尾駅近くに引っ越して住んでいました。

家族は、祖母(六八)、父(四六)、母(三六)、兄(一六、中学生)、姉(一三、女学生)、小生(九、小学生)、妹(四)末妹(〇)の八人で暮らしていました。

家業の棉寝具問屋の事業も閉鎖させられ、長崎県繊維協同組合の理事長と言う立場で父親は勤め人になっていました。

八月九日の十一時二分には、学徒動員の兄は早朝から三菱兵器大橋工場へ、父は道の尾駅で列車を待っていました。

小生は午後からの登校に備えて母に自室で予習を受けていました、赤子の末妹を傍に寝せて母と机についていましたら、突然、目の眩む真っ赤な光に部屋中が包まれました。

とっさに母が小生の首に手を巻き、机の下に「伏せ!」と叫びながらもぐりこみました、すると、直下型大地震に遭遇したように家が持ち上げられた風に感じる、振動に揺さぶられたのでした。

耳を澄ませると、先ほどまで鳴いていた夏蝉の声もせず、まるで生き物の気配さえ感じられない静寂に包まれていました。

私たちは、机の下から身を起こしてみたら、窓は吹っ飛び部屋中が無知くちゃに壊れていて、窓の外に直撃弾を受けたと思い、外を見ましたが何ら窓外の田圃には変化がありませんでした。

母が隣の部屋にいる祖母・妹に声を掛けましたら、我に返った妹が頭から血を流しながら転がり込んでまいりました、祖母も腰を抜かし這いずり入ってまいりました。

別の部屋にいた姉が何か訳の解らないことを叫びながら、私の部屋に飛び込んできましたが、皆が頭や顔から血を流しているのを見て、我が家の裏手に住んでいられた退役軍医の「宮島先生の処へ行くよ!」と、みんなで外へ出たのでした。

近くに爆弾の落ちた形跡もなく、なぜ?こんなに家が半壊した訳もつかめず、不思議な気持ちで軍医宅へ急いだのでした。

軍医宅も見るかげなく荒れていましたが、皆さん無事で有りあわせの薬で手当てを受けて、何が起こっているのか解らないから、脇の山裾に掘られた防空壕で様子を見よう、と両家が避難した防空壕が、やがて重症者・変死の人達で一杯になりました。

・・・・・・・・・・・
*通勤途次の父が火傷しながら帰宅し、学徒動員中の兄の捜索に出かける様、翌朝帰宅した兄の壮絶な経験など、そしてわが母校(爆心地より一・八キロメートル)の死者約一三〇名の件など、自分の目でみた「地獄絵」と自分の体に生じた病気の件などを、中心に「語り部」として紹介しています。

*被爆後一年余で死んだ母、当時見た野焼きによる茶毘と終戦後間もない貧しい時代でしたが荘厳に送られた母の葬儀・・・戦争と平和を教えられた。

*結婚時、小生の申し込みに細君(東京人)の一族が猛反対され強行手段で結婚

*妹と小生が不妊症で苦しんだ原因(放射線障害)・・人類と核は共存不可能

*被爆後八年目「肺結核」で一年休学、十一年目上京進学後即「頸部リンパ腫瘍」帰郷し入院手術二年間休養、二〇年目「皮膚結核症」で入院、入院中に検査を依頼し「無精子症」判明、三〇年目「胃潰瘍」入院、その後二三年目に「胃三分の二切除摘出」など、高血圧性心疾患の治療を四〇歳代より続け、現役引退後六九才の折「心臓冠動脈へ二本のステント装着」など主病歴です。

現在は所持していますが、五〇歳までは被爆者健康手帳を取得しなかったのです、三七歳死の母、五八才死の父らの平均年齢は超えて生きたいと思い、否定したことはなかったが、敢えて被爆者を名乗ることはしなかったのです。

被爆者団体に属して、会務の手伝いを初めて未だ一〇年ほどです。

「常に語りで言及すること」
*与えられた命は、誰にも奪う権利はない!命の優先された世の中を作ろう!
*核兵器は、爆風・熱線・放射能でのジェノサイトとも言える大量破壊兵器

現在、
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表理事(関甲信越担当)
千葉県原爆被爆者「友愛会」事務局長    市原 憲二郎

 

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