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被爆体験について 
岩本 繁子(いわもと しげこ) 
性別 女性  被爆時年齢 15歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島電鉄(株)草津停留所(広島市草津東町[現:広島市西区]) 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

原爆投下から早五〇年の歳月が立ちました。あの日の朝もいつもと同じように「行ってきます。」とすぐ下の弟とわたしはそれぞれの動員先へと急ぎました。

わたしは、宮島線の草津駅で大音響を聞きました。あわてて下車し、市内を見ると、上空にむくむくと上昇している大きなきのこの雲を見ました。周囲の人たちのただならぬ気配に大変な事態になったのだと感じ、庚午の土手まで歩きました。市内は一面火の海でまっかです。おそろしさに身体が震え、身動きがとれなくなりました。しばらくはそこへ座って、家族の身を案じていました。

どの位時間が立ったのでしょうか。目の前を衣服は焼け焦げ、皮ふはぶら下がり、男女の見分けがつかない負傷者がぞろぞろと西へ西へと逃がれてきました。「中広町はどうなっていますか。」と誰にともなく声をかけると、集団の中から「広島は全めつじゃ。危ないから入らんほうがいいぞ。」とか細い声が聞こえました。「水はないかー。」「助けてください。熱いよー。痛いよー。」「眼が見えん。」と何人かの声。そして、フラフラと倒れたり座ったまま動かない人、横たわる人など、どうしてあげることもできません。元気でいるわたし申し訳なく、そっとその場を離れました。元来た道を国道まで引き返し、わが家へと歩き始めました。たくさんの負傷者と避難して来る人達に出合いました。ここでも、男女の区別や年令など分からないひどい火傷の人たちでした。裸に近い人もいました。髪は逆立ち顔も身体も赤黒く、よく歩かれたと思いました。

「広島は全めつ」といわれた言葉を思い出し、心細さと悲しさで道々涙があふれました。その後も数多くのひどい負傷者が郊外へと逃れて来られました。しばらくして雨が降り庚午(北)農家の小屋で雨宿りをして己斐橋近くまで辿り着きました。負傷者は橋のたもとに集められ、トラックで救護所へ輸送されていましたが、負傷者の数は減りません。風の関係で熱風が顔に当たり市内へ入れません。火災も広がり近寄れないのです。

太田川放水路の土手で近所の人に会うことができました。両親が無事である事を聞き涙が止めどなくこぼれ落ち心が落ち着くまでその場所にいました。しばらくして、わが家の近くまで帰りましたが家は跡かたもなく焼けていました。

ちょうどその頃、爆心地に近い橋の上で被爆し全身大火傷を負った弟が母の胸に抱かれ一二才の短い生涯を終えたのです。被爆後一〇時間、数奇な運命にほんろうされながらひたすら両親に出会う事を念じつつ身のおきどころがない位の痛さ、苦しさにもじっと耐え思いがけない所で出会う事ができたのだそうです。両親に被爆した様子を伝え、「ありがとう。」の一言を残したのです。その時の両親の心を思うと涙があふれ、胸が痛みます。

その夜、わたしも両親と下の弟に会う事ができ、太田川の土手でまっかに燃えている市内の空を見ながら一夜を明かしました。

翌日(七日)早朝近くに住む伯母の様子を見に行きました。半焼けの家のふとんの中で「助けてください。」と言う声を聞き近くの兵士に救助を願いました。三人の兵士は担架で伯母を救出してくれたかに見えたのですが、一〇〇〇体以上の死体の山に伯母を放り出し、油をかけ、火をつけました。生きている人を・・・・・・・。

わたしは、気が狂ったようになり、兵士の腰を思いきり蹴りました。「こんな人を助けていると他の人が助からん。」兵士の言葉に怒りが身体中を走りました。こんな理不尽なことがあってよいものでしょうか。今でもあの時の光景が目に焼きついて離れません。信じていただけるでしょうか、家族だけは知っています。

七日の一〇時すぎ府中にいる伯父に援助を頼むため、下の弟と二人で天満川の鉄橋を渡り、市内へ入る途中、潮流にのって赤黒く焼けただれふくれた死体が川面に満杯になって浮いていました。本川も、元安川でも同じ光景を見ました。相生橋を通り過ぎた頃から無数の死体が道端に横たわり、紙屋町、八丁堀の電車の中も黒焦げの死体が折り重なっていました。道路にも踏み越えなければ通れない状態でした。二人で合掌をし、戦争の恐ろしさを語りました。

今ペンを走らせていて思い出すのもつらい残酷な原爆を二度と落とす事のないよう平和のありがたさをかみしめて、若い人たちに語り伝えていきたいと思っています。

 

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