国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
被爆体験について 
安木 明(やすき めい) 
性別 女性  被爆時年齢 4歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は当時四才でしたが、あの日のことははっきりと覚えております。

夏の暑いお昼前、小さかった私は近所の子ども達とござの上でままごと遊びに興じておりました。「ヒコーキの、ヒコーキの」という歌のようなよろこびのような兄の声と同時にサイレンの音。母の「早くおいで!!」と叫ぶ声。一目散に走り出したと思ったらピカー!!と光線が走りドカンという音で、私の体は吹き飛ばされて気が付いた時は溝の中に倒れていました。

父は諏訪町の製麺組合という会社に勤めていましたが会社は爆風でガラス等が飛散し軽い負傷で済み歩いて帰って来ました。近所の防空壕へ避難していましたが、爆心地より大勢の負傷者が運びこまれ、私達は出されてしまいました。夜になり爆心地の方を見ると、それはそれは、この世ともいえぬ真赤に燃えさかる光景が目の底に焼きついています。

爆風の時に鼓膜に穴が開いたのが今でも中耳炎のくりかえし、頭痛のたねです。血液の疾患、骨の疾患、消化器の疾患と健康管理手当の申請が出来ますが、難聴になった者への手当も請求出来るようになってほしいものです
  

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針