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昭和二十年八月九日 
匿名(とくめい) 
性別 女性  被爆時年齢 9歳 
被爆地(被爆区分) 長崎  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業 児童 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
昭和二十年八月九日

原爆投下の日からもう六十年が過ぎました。その間人それぞれ色々な人生を送られた事と思います。原爆により人生を変えられた人々も少くはありません。私もその中の一人です。

八月九日の朝「いってらっしゃい!」と三菱兵器に勤務する父を見送ったのが父の最後の姿でした。母は父を探しに爆心地に毎日毎日行き消息がわからないので重い足を引きずりながら一日一日がむなしく過ぎていきました。

中心地から二・三キロはなれた中川町に在住してた私達の所にも火傷した人、皮膚が半分にたれさがった人達が山を越えてもどって来ました。途中で息たえた人々も大勢でした。

二、三日後には小学校の運動場は火葬場に変わりその惨状は筆舌に尽し難いものがありました。

原爆で夫を亡くしその後教職につき女手一つで子供三人を育て上げた母も昨年十二月天寿を全うしこの世を去りました。

天国で六十年振りに父に再会し私達の成長を話してくれてると思ってます。

一才違いの兄も母と前後して昨年九月に旅立って行きました。天国で両親に精一杯甘えてる事と思ってます。

これからの世、いかなる理由があっても核兵器は使われてはいけないと思います。被爆者の高齢化が進む中この苦しみ惨たらしさ怒りや悲しみをどれだけの人達が理解していただけるのでしょうか?

被爆の惨劇を風化させてはいけないと心から思います。
  

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