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荒木 禮子(あらき れいこ) 
性別 女性  被爆時年齢 14歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
この八月六日、久しぶりに、広島の、土を、ふみました。何もおこらなかった、ように、広島の町は、すっかり、かわりきれいだった。

三十六年前の元の材木町の道路を、みんな、私の同級生が、たすけを、もとめて、死んで、行った、のだ、と思うと、足を、おろして、いる、気にならない。夜に、入り、アイオイ橋の、トウロウ、流しに、行く。川の、ほとりに、たたずみ、静かな、川の、流れを、見つめていると、川の中から、おうおうと、声が、聞こえて、来る、ようだ。あついので、みんな、川に、入って、いって、死んだ、と聞きました。なつかしい町、よろこんで、帰って、行く、ふるさとが、かなしい、思い出の、土で、あることが、なんて、さみしい、事でしょう。目の前に、浮かんで、来る、三十六年前の、原爆の、おそろしさを、どんなに、表現して、よいか、わかりません。ただ戦争を、してはいけない、核兵器を、作っては、いけない、そして二度と、私達、被爆者、のように、なっては、いけません。

爆心地、ちかくにいた人びとは一しゅんのうちに、骨まで、蒸発しました。半径数キロメートル、までは、街も道路も、木も草も、そして人間も、すっかり、叩き、つぶされ、焼きつくされました。生皮を、はがれ、顔や、手足を、えぐられ、火の海の中を、逃げ、まとい、そして、力つきて、死んで、いったのです。そして生きのびた被爆者は、あの日の、出来事を、背負って、年月を、生きて、行かなければ、なりません。

全国各地での、都市爆撃、沖縄戦に、おける、日本軍によって、死に追いやられた、おびただしい、住民の犠牲。そして人類の、存続をも、危うくする、原爆の投下。核、じっけんの、犠牲になったのが、広島、長崎、に居た、私達です。原爆攻撃の被害の唯一の体験者である、私達、日本国民は、原爆の恐ろしさ、残虐さを、国の中でも、そして、世界中に知らさなくては、なりません。
  

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