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被爆体験について 
青木 茂(あおき しげる) 
性別 男性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 長崎(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属 三菱重工業(株)長崎兵器製作所 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

トンネルの中に居て助かり、ただちに兵器製作所、大橋工場へ救援に向い、女性一〇人程が、全身火傷で、両腕を前に出し、「オオ寒い」「アア寒い」と言っていた姿はまさに幽霊でした。工場での怪我人を産業道路両側の芝生の上に並べ救援のトラックを待っている間に、約三〇センチメートル程の火の玉が、ゆらりゆらりと怪我人に近ずきました。あの火の玉は何んだったのか、悪い夢でも見たような気分になります。

私と、昼勤・夜勤と交代していた方のご夫婦が死亡されていましたが、ヤセ型の方が身体はまん丸に膨れ、睾丸はソフトボールより少し太めに膨れていました。(原爆とは無惨な姿にさせる非人間的兵器です)この二人を一人で火葬しましたが苦労しました。

山里町の爆心地近くの下宿の小母さんは、焼けて骨になり、その骨がまた焼けたのでしょう。形はありますが、灰のようで拾えませんでした。

弟も怪我を顔と足にしていました。

その内、私も猛烈な下痢・歯茎からの出血、脱毛などと、体力がなく苦しみました。また一寸したカスリ傷でもスグ化膿しました。

結婚し、生まれた子供も同じように、スグ化膿しその時は、俺に良く似た子だと思っていました。

子供達も成人しましたが、白血球が普通の方の五〇パーセント程です。また孫も白血球が少なく、病気、原爆と関係のある病気が出ないか、心配しながら生活しています。

 

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